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亥鼻公園(千葉市)の記念碑など [名所案内]

おはようございます。

本日もご来訪下さり、誠にありがとうございます。

私こと不肖讃岐人の住む地域は、今日からまた寒くなるようです。皆さま、お気をつけください。

今日は、亥鼻公園の写真の紹介の最終回です。「しまじろうコンサート」を鑑賞した時に散策いたしました。

ところで、ぽんちゃんさんから、「なぜに しまじろう を話題にするのかがとても気になって、過去の記事などを追ってみたのですが、謎が解けません。」とのお言葉を頂戴いたしました。

この謎については、いつか皆さんにお話できる日がくるかもしれませんし、こないかもしれません。大した理由ではありませんが。

とりあえず、私はベネッセ(福武書店)の回し者ではないことだけは強調しておきます。これは大切なことです。今は「しまじろうには、他には無い魅力があるため、それを選択している。」とだけ申し述べておきたいと思います。

では、ここからが今日の本題です。

亥鼻公園の中には、たくさんの記念碑がありました。

はじめに、原爆犠牲者慰霊碑などです。

亥鼻公園の記念碑(2016年1月9日)その1.jpg


次に、たしか警察関係の殉職者の慰霊碑と千葉開府800周年記念碑、だったと思います。(碑文の写りが悪く判読できませんでした。間違っていたら申し訳ありません。)

亥鼻公園の記念碑(2016年1月9日)その2.jpg


千葉開府850周年記念碑です。

亥鼻公園の記念碑(2016年1月9日)その3.jpg


教員顕彰碑です。教師について詠んだ和歌が刻まれています。

亥鼻公園の記念碑(2016年1月9日)その4.jpg


千葉大学の記念碑です。

亥鼻公園の記念碑(2016年1月9日)その5.jpg


最後に、千葉県文化会館前の、千葉出身文人の歌碑です。

亥鼻公園の記念碑(2016年1月9日)その6.jpg


ほかにもあるかもしれませんが、私が気付いたものは以上です。

しまじろうコンサート観覧が目的でしたが、亥鼻公園は見どころが多く、千葉市民の憩いの場であることがわかりました。隣の千葉大学の学生も、良い環境で勉強できているなぁ、とうらやましく思いました。

次に来ることがあれば、今度は郷土博物館も見学してみたいです。

最後に、おわびとお願いです。

近頃は皆様のブログを訪問できたりできなかったりしております。訪問できる時に読ませていただきますので、よろしくお願いします。その際、まとめて読めた記事それぞれにniceをつけることがございます。その際は履歴が複数残りますのでご了承ください。

それでは!!

千葉郷土資料館(2016年1月9日).jpg

亥鼻公園(千葉県千葉市) [名所案内]

おはようございます。

本日もご来訪下さり、誠にありがとうございます。

さて、私こと不肖讃岐人の住む地域は、一昨日あたりから昼間は暖かく、昨日などは気温が3月ごろの平年値くらいまで上がったとか。雪が降るなど、少し寒い時期がありましたので、一息つけたように思います。明日から、再び寒くなるそうなので、皆さまお気をつけください。

さて、今回は、千葉市の郷土博物館や千葉県文化会館のある亥鼻公園の風景などを紹介します。

はじめに、千葉県文化会館の庭園側から、郷土博物館を見た写真です。

亥鼻公園(2016年1月9日)その1.jpg


次に、郷土博物館の前の広場です。

亥鼻公園(2016年1月9日)その2.jpg


桜の木がたくさん植えられていました。春になると、お花見で賑わうのでしょう。

亥鼻公園(2016年1月9日)その3.jpg


公園の中には、神明社という神社が祀られていました。

亥鼻公園(神明社)(2016年1月9日).jpg


推測ですが、千葉氏が居館で祀っていた神社だったのでしょうね。

亥鼻公園(神明社)(2016年1月9日)その2.jpg


次回は、公園内の記念碑などを紹介したいと思います。
ありがとうございました。

最後に、おわびとお願いです。

近頃は皆様のブログを訪問できたりできなかったりしております。訪問できる時に読ませていただきますので、よろしくお願いします。その際、まとめて読めた記事それぞれにniceをつけることがございます。その際は履歴が複数残りますのでご了承ください。

それでは!!

ベネッセ東京本部で見たニキ作品など [名所案内]

おはようございます。

本日もご来訪ありがとうございます。

今日は、昨日の続きみたいな内容です。

ベネッセ東京本部にはオブジェなどが設置されていて、その中にニキの作品がいくつかあったので撮影してきました。

その他のものも写真で紹介します。

では、外に設置してある作品から。

はじめに、「蛇の樹」です。

蛇の樹.jpg


・・・なんとなく撮影角度のせいで、しまじろう君が蛇にかまれそうになっているように見えてしまいますね。

次に「恋する大鳥」です。

恋する大鳥.jpg


次は、ニキではなくフロリアン・クラール(Florian Claar:1968~ )の作品「フラグメント No.7」です。

フラグメントNO7.jpg


フロリアン・クラールはドイツ出身の現代芸術家で、現在は日本に活動の拠点を置き、精力的に作品を創作しているほか、武蔵野美術大学で非常勤講師として後進の指導にあたっているそうです。

続いて、屋内に展示されている作品です。

2階のエレベーターホールに設置している、たぶんニキの作品「ナナ」のフラワーポットです。

ナナのフラワーポット(ベネッセ2階).jpg


あとは、建築会社が作ったであろう、ベネッセ東京本部の建物模型です。21階の展望室に置いてありました。

ベネッセビル模型.jpg


建物模型は建物の全貌をつかむことができ、また、デザインのコンセプトを表していることも多いので、私、公共施設などに行ったときは、とりあえず建物模型の有無をチェックします。

私が気づいたのはこれくらいでしょうか。さすがは香川県の直島でフィールドミュージアムを運営しているだけはあります。機会があれば直島にも行ってみたいです。

最後に、おわびとお願いです。

近頃は皆様のブログを訪問できたりできなかったりしております。訪問できる時に読ませていただきますので、よろしくお願いします。その際、まとめて読めた記事それぞれにniceをつけることがございます。その際は履歴が複数残りますのでご了承ください。

それでは!!

上野駅 [名所案内]

おはようございます。

本日もご来訪ありがとうございます。

私こと不肖讃岐人の住む地域は、先週までの暖かさがまるで嘘のように、寒い朝を迎えています。街行く人もマスク姿の方が増えたような気がします。

今日は上野駅の写真です。

上野駅.jpg


都内で駅らしい駅というと、私は東京と上野だと思うのですが、いかがでしょう?最近は駅というよりも商業ビルといった風情の駅が増えて、それはそれで良いのですが、やはり駅というとそれなりの情緒といいますか、雰囲気といいますか、そういったものを備えて欲しいと思うのであります。

上野駅その2.jpg


そうなると、今や東京か上野かということになってくると思うのです。

上野駅中央改札口.jpg


地下鉄の駅も、1927年(昭和2年)に日本初の地下鉄として開業しただけはあって、なかなか味があります。

地下鉄上野駅コンコース.jpg


開業当初から使用されている給電用の第3軌条も展示していました。

第3軌条.jpg


鉄骨のリベットが何とも言えません。

地下鉄上野駅.jpg


地下鉄上野駅その2.jpg


公園口は、ずいぶんと淡泊でした。

上野駅(公園口).jpg


最後におわびとお願いです。近頃は皆様のブログを訪問できたりできなかったりしております。訪問できる時に読ませていただきますので、よろしくお願いします。その際、まとめて読めた記事それぞれにniceをつけることがございます。その際は履歴が複数残りますのでご了承ください。

それでは!!

夜のヴェルニー公園(横須賀) [名所案内]

おはようございます。

気が付くと、明日はもう「立冬」、冬ですね。暦の上で、ですが。

冬は、夜の空気が冴えてくると言いますか、何となくにぎやかな夏の夜とは異なり、寒さもあってか、同じ夜といえどもしんと静まり、引き締まっ夜であるような感じがいたします。

というわけで、私こと不肖讃岐人は冬の夜が大好きです。

で、今回は以前紹介した(過去記事)神奈川県横須賀市にある「ヴェルニー公園」の夜の姿をご覧いただこうと思います。

それでは、はじめます。

ヴェルニー公園(夜)その7.jpg


ヴェルニー公園(夜)その8.jpg


ヴェルニー公園(夜)のレストラン2.jpg


ヴェルニー公園(夜)のレストラン1.jpg


ヴェルニー公園(夜)その6.jpg


ヴェルニー公園(夜)その5.jpg


ヴェルニー公園(夜)その4.jpg


ヴェルニー公園(夜)その3.jpg


ヴェルニー公園(夜)その2.jpg


ヴェルニー公園(夜)その1.jpg


いかがでしょうか?
全て手持ち撮影なので、若干ピントがずれていますがご容赦ください。

そして、ヴェルニー公園といえば軍艦や自衛艦です。
この日は、潜水艦と海上自衛隊最大の護衛艦である「いずも」、そして砕氷艦の「しらせ」が停泊していました。

横須賀基地夜景2.jpg


横須賀基地夜景.jpg


護衛艦いずもと砕氷艦しらせ.jpg


護衛艦いずも(夜).jpg


「しらせ」で南極に行ったことがある方から聞いた話ですが、南極では吐いた息が白くならないそうです。息が白くなるのは、息に含まれる水蒸気(透明)が空気中の細かいチリなど(専門用語で「エーロゾル」または「エアロゾル」)にくっつくことで飽和(簡単に言うと、空気が水分を持ちきれなくなり、気体の状態の水が液体になること。)しやすくなるため、周囲の気温が低いと水蒸気が飽和し、息が一瞬白くなる(ここら辺は、雲ができる仕組みと同じです。)のですが、南極は空気中に細かいチリなどが無いきれいな空気なので、息に含まれる水蒸気が飽和しにくく、そのため息が白くならないんだそうです。

そういう景色を見てみたいなぁ、と思いました。

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それでは!!

~交通アクセス~
JR横須賀駅から徒歩1分

京急汐入駅から徒歩5分

マイカー利用の場合、ダイエーや京急汐入駅近くの駐車場(いずれも有料)が便利です。(JR横須賀駅側には駐車場は(たぶん)ありません。)

ヴェルニー公園 [名所案内]

おはようございます。

今日もご来訪ありがとうございます。今日はハロウィーンですね。秋の実りに感謝するお祭りなので、今日は美味しいものをたくさん食べてみるのも良いかもしれませんね。

さて、今回は、神奈川県の横須賀市にある「ヴェルニー公園」を紹介したいと思います。

ヴェルニー公園とは、江戸時代末に来日し、横須賀製鉄所や軍港の建設に貢献し、日本の近代化に大きな足跡を残したフランス人技術者フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908)を記念して、旧海軍逸見上陸場の跡地に作られた、フランス式庭園を備えた公園です。

ヴェルニー公園その5.jpg


園内には、同時期に勘定奉行として製鉄所建設を財政面で支えた小栗忠順(おぐり ただまさ 1827~1868)の胸像もヴェルニーの胸像と並んで建てられ、毎年11月中旬には「ヴェルニー・小栗祭式典」が行われるそうです。

それでは、ヴェルニー公園の中を少し見てみましょう。

ヴェルニー公園.jpg


ヴェルニー公園その2.jpg


ヴェルニー公園その3.jpg


園内にはほかにも、横須賀駅に近いところに「ヴェルニー記念館」やレストランがあります。

レストランはこんな感じです。

ヴェルニー公園のレストラン.jpg


ヴェルニー公園のレストランその2.jpg


もともとが日本海軍の上陸場(沖に停泊している艦艇から乗組員などを行き来させるための小型船用の岸壁施設)なので、当時の建物や、海軍関連の各種の記念碑もありました。

旧逸見上陸場衛門.jpg


海軍時代の衛門詰所(衛兵が常駐して出入りを監視する施設)が、中央の入口に保存されています。

ヴェルニー公園その4.jpg


戦艦「長門」をはじめ、海軍の艦艇などを記念、あるいは乗組員を慰霊するための石碑も京急汐入駅側にありました。

また、もともとが海軍施設ということもあって、米海軍横須賀基地や海上自衛隊横須賀基地に隣接しているため、米軍の軍艦や海上自衛隊の護衛艦などが見えます。

横須賀基地.jpg


海上自衛隊横須賀基地.jpg


見に行った日は、空母「ロナルド・レーガン」が停泊していたようですが、さすがに最重要の軍艦だけはあってヴェルニー公園からは見えませんでした。(単に、それとは気づかなかっただけかもしれません。)ダイエーのそばにある「軍港めぐり」の遊覧船に乗れば見られたかもしれません。(時間が合わなかったので乗船を見送りました。)

みなさんも、横須賀に行かれることがあれば、立ち寄られるのも良いかもしれません。JR横須賀駅がそばにあり交通の便が良いです。さらに京急汐入駅も近く、公園から見えるダイエーのそばには「スターバックス」もあるので、とりあえずのお散歩にも良いかもしれません。オーシャンビューのベンチも沢山ありましたので、ぜひ遊びに行ってみて下さい。

最後におわびとお願いです。近頃は皆様のブログを訪問できたりできなかったりしております。訪問できる時に読ませていただきますので、よろしくお願いします。その際、まとめて読めた記事それぞれにniceをつけることがございます。その際は履歴が複数残りますのでご了承ください。

それでは!!

~交通アクセス~
JR横須賀駅から徒歩1分

京急汐入駅から徒歩5分

マイカー利用の場合、ダイエーや京急汐入駅近くの駐車場(いずれも有料)が便利です。(JR横須賀駅側には駐車場は(たぶん)ありません。)

江戸東京たてもの園(その11(最終回)) [名所案内]

おはようございます。

昨夜は仲秋の名月でした。今夜は「スーパームーン」らしいですね。
昨日は思い出したようにお団子を買おうとしたら、みんな同じようなことを考えていたんでしょうね。近所のコンビニのお団子、おはぎ、その他等々が見事に品切れになっていました。

さて、今回は「江戸東京たてもの園」の最終回です。
順不同で、園内にあるいろいろなものを紹介します。

最初に、「午砲」です。

午砲.jpg


エントランス広場(ビジターセンターから園内に入ってすぐの広場)に保存されています。1871年(明治4年)から1929年(昭和4年)まで、皇居内の旧本丸に設置されていたこの大砲で正午を知らせていたそうです。

次に、ボンネットバスです。

ボンネットバス.jpg


三井八郎右衛門邸のそばにあります。以前は、このバスも走っていたように記憶しているのですが最近は静態保存状態です。

次に、空地です。

空地.jpg


下町中通りに面しています。ここでは、竹馬などの昔のこどもの遊びを体験することができます。土管を三つ置いて、「ドラえもん」でおなじみの「空地」といった風情を醸し出しています。

最後に、天皇陛下が皇太子であった時代に小金井にお住まいになっていたことを記念する石碑です。

小金井御仮寓所跡の碑.jpg


皇太子殿下御勉学の地の碑.jpg


上の「仮寓所跡の碑」は、エントランス広場に、下の「御勉学の地記念碑」は、伊達家の門とビジターセンター(光華殿)との間の外柵沿いにあります。

1946年(昭和21年)から3年間、学習院中等科がこの地に置かれたため、東宮仮御寓所も設置され、皇太子であった天皇陛下も小金井の地に住まわれていたそうです。なお、東宮仮御寓所の建物は、1949年(昭和24年)に火災により焼失したそうです。

これで、江戸東京たてもの園の紹介をひとまず終えようと思います。
まさかこんなに回数を分けなければならなくなるとは思いませんでした。でも、まだまだ紹介していない建物などがたくさんありますので、興味を持たれた方は、ぜひ足を運んでいただき、ご自身の目でご覧になっていただきたいと思います。

ありがとうございました。

たてもの園案内図.jpg

江戸東京たてもの園(その10) [名所案内]

おはようございます。

昨夜、NHK総合で放送していた「今夜も生でさだまさし」を観て寝不足の讃岐人です。

さだまさしさんのファンではありませんが、紅白の後の「ゆく年くる年」の後に放送された第1回をたまたま観て以来、できる限り観るようにしています。

放送の中で「最近の日本人の日本語の語彙が貧弱」という話題がありました。貧弱であることには同意しますが、「貧弱」になったのではなく、「単純化」したという方が正確であるような気がします。

日本語の語源は、「やまとことば」、「漢語」それと「西欧語等の外国語」であります。その体系すべてを学ぶことは、大衆教育ではまず不可能です。大衆化とは、「そこそこのところ」に合わせることであると思います。「そこそこのところ」に合わせたら、そりゃあ多くを学んだ人から見たら「貧弱」に見えますよね。

言葉は、相手と自分との共通の認識の上で成り立つわけでして、相手のわからない言葉で何か言っても、意味が通らず全くの無益であると考えます。大昔の、教育をごく限られた社会階層の人々が独占していた時代であるならば、難しい言葉も教わる余裕があるでしょうから、お互いに難しい言葉でやりとりしても意味が通るでしょう。

繰り返しになりますが、現代教育は大衆化、すなわち単純化された教育を受ける時代です。言い換えるならば、平易な言葉でお互いの意思疎通を図ることを前提とした教育体系を持った時代です。そういう事情を考慮せず「細かな意味ごとに言葉を使い分けるべき」というさだまさしさんや、紹介された人物の論は、いささか衒学(げんがく:学問をひけらかすこと)的なように思いました。

それに、単純な言葉の中に万感を込めることも、日本語(やまとことば)の特性であると思いますので、その点でも「細かな意味の違いごとに細かく言葉を使い分けるべき」という論は、いかにも漢語的で違和感を覚えました。

さて、前置きはこれくらいにして、本題です。
今回は、いくつかの小建物および内部を見ていない建物です。

最初に、上野消防署望楼上部です。

火の見櫓.jpg


「望楼」とは、いわゆる「火の見やぐら」のことで、かつては消防署の屋上や近傍に必ず設置されていました。今でも、古い消防署の庁舎には残っている所も多いと思います。今は建物の高層化で用をなさなくなったり、電話などの電気通信による通報網が確立されたりしたので、設置されなくなりました。

次に、万世橋交番です。

交番.jpg


万世橋とは、今の秋葉原の付近です。かつては「万世橋駅」という駅があり、中央本線の起点でした。「万世橋駅」は1912年(明治45年)開業、1923年(大正12年)の関東大震災で焼失し1943年(昭和18年)に廃業しました。

駅舎は、その後「交通博物館」として使用されていましたが、それも2006年(平成18年)に閉鎖され、中央線の高架と一体となっている部分だけを残して解体、残された部分も今では商業施設「マーチエキュート神田万世橋」の一部になっているそうです。

その万世橋駅の駅前交番だった建物なんだそうです。

その内部(休憩室)はこんな感じです。

交番の休憩室.jpg


次に、皇居正門の石橋に取り付けられていた飾電灯です。

皇居正門石橋飾電燈.jpg


最後は、センターゾーンにある「西川家別邸」です。
内部を見る時間的余裕がなく、外観だけです。

西川家別邸.jpg


庭園はこんな感じです。

西川家別邸の庭園.jpg


今回はここまでといたします。
次回は、その他の建物や記念碑、その他を紹介します。
ありがとうございました。

たてもの園案内図.jpg

江戸東京たてもの園(その9) [名所案内]

おはようございます。

秋分の日を過ぎ、寒くなったと思ったら、また暖かくなってくるようです。気温の変化が激しいと体調を崩しやすいので、皆さまお気を付けください。

今回は、江戸東京たてもの園の続きで、「天明家(農家)」と「伊達家の門」を紹介します。

最初に天明家(農家)です。

天明家(門).jpg


かなり立派な門です。

天明家.jpg


門をくぐったところから母屋を見たところです。母屋もかなり立派です。これまで2軒の農家の建物を紹介しましたが、ここが最も巨大です。それもそのはずで、天明家は鵜ノ木村(現在の大田区)で代々村役人の年寄を務めた家なんだそうです。

中庭から門を見ると、門に部屋が付いた長屋門になっているのがわかります。

天明家(長屋門)その2.jpg


母屋の中はこんな感じです。

天明家(内部).jpg


長屋門の部屋はこんな感じです。

天明家(長屋門内部).jpg


次に、伊達家の門です。

伊達家の門.jpg


この門は、大正時代に宇和島伊達家の東京の屋敷の門として建てられたそうです。なお、宇和島伊達家は、華族令施行時は伯爵、後に侯爵に列せられていたとか。侯爵家の門としてふさわしい造、とでも言いますか、大名屋敷の門を近代に甦らせたような豪壮な門であります。

なお、総欅(けやき)造りなんだそうです。

門に付属している片番所の内部は、こんな感じです。

伊達家の門(内部).jpg


今回はここまでといたします。
次回も、いくつかの建物などを紹介します。
ありがとうございました。

たてもの園案内図.jpg

江戸東京たてもの園(その8) [名所案内]

おはようございます。

今回は、江戸東京たてもの園の東ゾーンの中でもひときわ目立つ「子宝湯」の紹介です。

銭湯(子宝湯)外観.jpg


この「子宝湯」は、足立区千住元町に1929年(昭和4年)に建てられた銭湯で、1988年(昭和63年)に廃業、1993年(平成5年)に現在地に移築されたそうです。

小金井市にはスタジオジブリがありますが、「千と千尋の神隠し」制作の際には、作品の舞台となった「油屋」の参考にしたとも言われています。

それでは、内部を見てみましょう。まずは男湯から。

脱衣場(男湯).jpg


脱衣所です。

銭湯の縁側.jpg


脱衣所の縁側です。男湯はオープンな造となっています。

浴室(男湯).jpg


浴室です。壁面画は、移築された際に新たに描き直されたもののようです。

浴室(男湯)その2.jpg


女湯との仕切りに施された絵は、タイルに描かれています。
源平合戦の那須与一や、今日の五条の橋の上での牛若丸と弁慶といった、勇壮な題材が描かれています。

次に、女湯です。

脱衣場(女湯).jpg


脱衣場は、展示ケースが設置され、銭湯として営業していた頃に使用されていた物品の展示が行われています。

広い窓があった男湯とは対照的に、採光用の高窓しかなく、クローズな造となっています。まあ、のぞきとかを考えると当然ですね。昭和初期は、男性側も隠すという発想はそもそも無かったでしょうし。

ベビーベッド.jpg


ベビーベッドや赤ちゃん用の体重計があるところなど、いかにも女湯といった風情です。

広告(女湯).jpg


広告も、こどものための貯蓄を勧めるものや洗剤など、この銭湯が大活躍していた昭和30~40年代、すなわち、主婦が家庭(家計)を守ることが当たり前だった時代を反映したものが掲示してありました。

浴室(女湯).jpg


浴室の壁面画は、男湯同様、移築時に新たに描き直されたもののようです。男女を仕切る壁がそんなに高くないので、双方の壁面画を見ることができ、男湯・女湯の絵が一つとなって、富士山から箱根までの景色を表しています。

浴室(女湯)その2.jpg


男女の仕切りに設けられた壁の絵は、男湯と同様、タイルに描かれています。「さるかに合戦」と「舌切り雀」といった、広く知られた昔話に題材をとっているところが、こどもを連れて入浴することが多かったであろう女湯らしいところです。

東京周辺は、今も古い銭湯が現役で営業していることが多く、そういった銭湯を回るファンも沢山いらっしゃいます。ただ、実際に使用されているお風呂屋さんをじっくりと見学するのには、多少のコツというか、慣れが必要です。

ゆっくりと銭湯の細部を見学できるのも、フィールドミュージアムたる江戸東京たてもの園の魅力の一つであるように思いました。

今回はここまでといたします。
次回は、これまでで紹介しなかった建物などをいくつか取り上げたいと思います。
ありがとうございました。

たてもの園案内図.jpg

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