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しまじろうコンサート [日記]

おはようございます。

本日もご来訪下さり、誠にありがとうございます。

私こと不肖讃岐人が住む地域は、昨日はよく晴れていました。今日は寒さが多少緩む、との予報ですが、今は氷点下です。朝と昼の寒暖差が10度以上あると健康を崩しやすいそうです。皆さま、くれぐれもお気をつけてお過ごしください。

さて、今回は昨日の記事に載せられなかった「しまじろうコンサート」に関する写真です。

しまじろうコンサート(バナー).jpg


千葉県文化会館の外観です。三日連続で同じ写真です。

千葉県文化会館.jpg


会場ロビーでは、物品販売が行われていました。

しまじろうコンサート会場ロビー.jpg


コンサート関連のグッズ(絵本やDVDなど)のほか、通信販売でも売られているお弁当箱やハンガー、タオルといったこども向け商品も扱っていました。みみりんがあしらわれた道具類は大人気で、あっと言う間に売り切れていました。

3月のスペシャルコンサートや、映画「しまじろうと えほんのくに」のポスターも掲示してありました。

しまじろうポスター(2016年1月9日).jpg


千葉県文化会館のホールはこんな感じです。満員になっていました。

千葉県文化会館大ホール.jpg


会場入り口の看板です。

しまじろうとロボットのくに看板.jpg


おしまいに、記念撮影用のキャラクターボードです。

しまじろうとロボットのくにキャラクターボード.jpg


大勢の来場者が、しまじろう君たちと記念撮影をするために並んでいました。

ほかにも、こどものためのコンサートだけはあって、おむつを替えるためのスペースや、外から見られないように区分けされた授乳スペースが用意されていました。ベビーカーはホール内には持ち込めないので、一か所に集めて置かせていました。

グッズ販売のコーナーではクレジットカードも使ますが、VISAかMasterしか使用できないので、JCBしかない「しまじろうデザインのベネッセカード」は使えません。(VISAやMasterのマークが記載されている「イオンカード提携ベネッセカード(イオンカードと同じデザイン)」は使えます。)

こういう詰めの甘いところ、私は好きです。

最後に、おわびとお願いです。

近頃は皆様のブログを訪問できたりできなかったりしております。訪問できる時に読ませていただきますので、よろしくお願いします。その際、まとめて読めた記事それぞれにniceをつけることがございます。その際は履歴が複数残りますのでご了承ください。

それでは!!
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コメント 4

マリー

讃岐人さん ご訪問ありがとうございました♪
しまじろう君たちの事は、詳しくありません。
記事を読んで勉強します^^;
でも馬の事は、以前から気に掛けています
はっきり言いますと、「馬肉」を食べる人が理解できません
人間の、商売に利用された挙句、食糧にされてしまう
馬は知能の高い生き物です、競走馬のその後の処遇
などについての番組や特集を見て落ち込んでしまいました。
でも、そんな馬たちを助けようと頑張ってる方々、団体も
少ないですが、存在する事が救いです。
初めてご訪問頂いたのに、このようなコメント返し
申し訳ありませんでした。馬が好きな方がいたので、つい語って
しまいました、すみません。
by マリー (2016-01-28 01:37) 

讃岐人

マリーさん、こんばんは。
今の日本の馬のほとんどは、軽種なら競走馬にすることを目的に、重種なら肥育を目的に生産されていますね。軽種も能力審査に不合格となったり、競馬を引退したりした場合は肥育に回されたり、ひどい場合にはすぐに命を奪われたりして、乗馬等として生きられるものはわずかしかいないようです。

馬は、農村や山村に機械力が導入される前は、人とともに農耕や山仕事に汗を流した友人でした。
現在では馬は生活から切り離され、どこか遠い存在になってしまいました。そのため、馬の生産や育成に携わるわずかな人たちを除いては、乗馬をしたり、自然農法のために馬を飼育したりするような経験でもしない限り、馬のことを身近に感じることもなく、その行く末に心を砕くこともないのでしょう。

もっと馬が身近な存在になれば、もっと馬をたいせつに扱うようになるのかなぁ、馬のいのちを、自分のいのちと同じく、たいせつにしてくれるようになるのかなぁ、と思います。

もちろん、馬だけではなく、牛も、そのほかのいきものも同じなんでしょうね。

「ラーメン二郎」で豚肉をたらふく食べている身であるため、なかなか言いづらいところではありますが、私がこどものころは、親戚が飼っていた豚とよく遊んでいました。
豚もなついてくると、いろいろな表情やしぐさを見せてくれて、感情豊かで、こまやかなこころを持っているように感じられました。
当時の養豚は、今のような大規模なものではなく、農家の副業としての、極めて小規模なものだったので、豚一頭一頭との関係も、より濃密であったように思います。
そのため、たぶん、豚を売りに出す時は、生活のためとはいえ、ブタを育てた親戚は、寂しく悲しかっただろうと思います。

ラーメン二郎で豚肉をたくさん使用したラーメンを平らげているところをたくさん披露し、これからも続けるつもりですので、全く嘘くさい話と思われても仕方がありませんが、そういう経験からか、普段は豚肉は使用いたしません。

今では、豚だけではなく、牛も馬も、鯨も鶏も、魚さえも、私ひとりの身を永らえるために、あえて犠牲になってもらう必要はないのかなぁ、と思うようになり、普段は菜食で過ごしています。さすがにいろいろとあるので、申し訳ないのですが、植物には犠牲になっていただいております。

最近は私の身辺の変化により馬と遊ぶことが難しくなっていますが、すぐにでも馬の所へ行き、一緒にいたい思いを抱き続けています。馬の賢さ、やさしさ、心の豊かさ、気高さ、お茶目さなどなど、彼らの魅力を伝えるのには千の言葉を費やしても足りないかもしれません。それゆえ、たべものにするのに、あえて馬である必要はないと私も思います。

ただ、いきものは他のいきもののいのちを頂かなければ、いきてゆくことはできません。いのちを頂かなければ生きられない哀しさと、どのいのちも、いきるために生まれてきたこととを思うと、「経済動物」などという都合のよい言葉で丸め込むのではなく、もっと馬やほかのいきもののことを、利用するだけ利用するのではない関係を取り戻す必要があるのかなぁ、と思いました。

まとまりのないお返事で申し訳ありません。コメントありがとうございました。
by 讃岐人 (2016-01-28 22:22) 

ojioji

コメント欄を味読させていただきました。
いろいろな考えがあることでしょうが、
食べ物を粗末にしないで感謝していただく、
その気持ちが生き物の命を大切にすることにつながるかと。
今の日本は、正直、飽食の時代といいますか、
食べ物(人間以外の生き物の命)を粗末にしていると感じます。
by ojioji (2016-01-30 11:08) 

讃岐人

ojiojiさん、こんにちは。
コメント欄にも目を通してくださり、誠にありがとうございます。

最近問題となっている、食品製造各社から受託された廃棄物処理業者による「廃棄食材横流し」事案でも、食品業界の行き過ぎとも言える食材管理のありかた(工場から問屋を通じた小売りへの出荷までに消費期限の3分の1が経過したら廃棄するという、いわゆる「3分の1ルール」)に対する疑問の声があるようですね。

安全のため、加工食品に消費までの期限を設けることは妥当なことだと思います。

ですが、加工食品に頼るのではなく、野菜や肉や魚を自分の手と目で確認して、自分たちで食べる分だけ調理すれば良いわけで、理想は食材の調達も自分で行うことなんだろうなぁ、と思います。

確かに、都市生活者は多くの場合、食料生産手段を持たないので生産には困難があるでしょうが、少なくとも素材から無駄なく頂くための工夫はできるとは思います。

ひとりの取組は小さいかもしれませんが、少しずつでも、みんなで取り組めたなら、食べ物(食べ物になってくれた生き物、生き物を育ててくれたり、捕まえてくれた人々、運んでくれた人々)への恩返しに少しはなるのかなぁ、と思います。

食べることは生きることで、その中での命のやり取りが見えにくくなっていることが、いろいろな乱れのようなものにつながっているようにも思います。

コメントありがとうございます。
by 讃岐人 (2016-01-30 17:10) 

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