江戸東京たてもの園(その1) [名所案内]
こんばんは。
So-netブログのシステムメンテナンスのため、深夜の更新です。
以前、小金井公園の事を書いたとき、公園内にある「江戸東京たてもの園」について、別の機会に書きますよ、みたいなことを申し上げました。それで、今日からしばらくの間、江戸東京たてもの園について書いていきます。
たてもの園正面のエントランスは、1940年(昭和15年)に皇紀2600年祝賀式典のために宮城前広場に建てられた「光華殿」を移築したものです。ここから入ります。
これが案内図です。今回は西エリアの建物の外観を紹介します。
田園調布の分譲が始まったころに建てられた家だそうです。今も田園調布は高級住宅街として有名で、「田園調布に家が建つ~!」なんていうギャグもありましたね。自治組織がしっかりしていて、土地の切り売りなどを抑止していたため、東京近郊の住宅街が土地の細分化やマンションなどの大規模開発により、住環境が変化しているのに対し、今も当初の開発計画に基づく街区が維持されているとか。ただ、近年は都心部のタワーマンションに富裕層が回帰する傾向にあるそうで、少し前には「最近の社長さんは、都心から遠い田園調布に住まない。」なんてことも報道で取り上げられていました。
建築家の前川國男(1905~1986)の邸宅です。
かつて写真館として使われていた建物です。
かつての三井財閥の本家の邸宅です。
今日は駆け足での紹介でした。
ご来訪ありがとうございました。
So-netブログのシステムメンテナンスのため、深夜の更新です。
以前、小金井公園の事を書いたとき、公園内にある「江戸東京たてもの園」について、別の機会に書きますよ、みたいなことを申し上げました。それで、今日からしばらくの間、江戸東京たてもの園について書いていきます。
たてもの園正面のエントランスは、1940年(昭和15年)に皇紀2600年祝賀式典のために宮城前広場に建てられた「光華殿」を移築したものです。ここから入ります。
これが案内図です。今回は西エリアの建物の外観を紹介します。
田園調布の家(大川邸)
田園調布の分譲が始まったころに建てられた家だそうです。今も田園調布は高級住宅街として有名で、「田園調布に家が建つ~!」なんていうギャグもありましたね。自治組織がしっかりしていて、土地の切り売りなどを抑止していたため、東京近郊の住宅街が土地の細分化やマンションなどの大規模開発により、住環境が変化しているのに対し、今も当初の開発計画に基づく街区が維持されているとか。ただ、近年は都心部のタワーマンションに富裕層が回帰する傾向にあるそうで、少し前には「最近の社長さんは、都心から遠い田園調布に住まない。」なんてことも報道で取り上げられていました。
前川國男邸
建築家の前川國男(1905~1986)の邸宅です。
常盤台写真場
かつて写真館として使われていた建物です。
三井八郎右衛門邸
かつての三井財閥の本家の邸宅です。
今日は駆け足での紹介でした。
ご来訪ありがとうございました。
2015-09-17 01:54
nice!(104)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0