志賀直哉旧居址 [日記]
おはようございます。
本日もご来訪ありがとうございます。今日は、以前撮った写真を見ていて思い出したことをひとつ紹介します。
前に、「尾道の街」という記事を書きました。そこで、尾道は志賀直哉が「暗夜行路」の舞台にした街と簡単に触れました。
で、これです。
東京の高田馬場にある「日本児童教育専門学校」です。幼稚園教諭(第二種(短大卒相当))や保育士を養成する学校だそうです。
児童教育というと、もちろん「しまじろう」ですが、今回は全く関係ありません。この学校に用件があって高田馬場に行ったわけではなく、偶然前を通っただけです。
では、なぜこの学校の写真を撮ったのかというと、前を通った時、この学校が設置した、かつて志賀直哉が住んでいた家があったという記念板が目にとまったからです。
記念板の記述によると、志賀直哉はその生涯において転居二十数回に及んだそうです。
私こと不肖讃岐人は、今年の春に引っ越した時の荷物の多くが、まだ箱に収まったままです。
とても、志賀直哉のように転居を繰り返すことは無理です。と思って、そういう話を同僚にしたら、「そのまま引っ越せばいいんじゃない?」と言われました。
ものは考えようですね。
最後に、おわびとお願いです。
できるだけ、目を通して下さった皆さまのブログを訪問するようにしておりますが、遅れることがあります。また、その場合、読んでいなかった記事をまとめて読み、niceを読んだ分だけ複数つけることがございますことをご了承ください。
それでは!!
本日もご来訪ありがとうございます。今日は、以前撮った写真を見ていて思い出したことをひとつ紹介します。
前に、「尾道の街」という記事を書きました。そこで、尾道は志賀直哉が「暗夜行路」の舞台にした街と簡単に触れました。
で、これです。
東京の高田馬場にある「日本児童教育専門学校」です。幼稚園教諭(第二種(短大卒相当))や保育士を養成する学校だそうです。
児童教育というと、もちろん「しまじろう」ですが、今回は全く関係ありません。この学校に用件があって高田馬場に行ったわけではなく、偶然前を通っただけです。
では、なぜこの学校の写真を撮ったのかというと、前を通った時、この学校が設置した、かつて志賀直哉が住んでいた家があったという記念板が目にとまったからです。
記念板の記述によると、志賀直哉はその生涯において転居二十数回に及んだそうです。
私こと不肖讃岐人は、今年の春に引っ越した時の荷物の多くが、まだ箱に収まったままです。
とても、志賀直哉のように転居を繰り返すことは無理です。と思って、そういう話を同僚にしたら、「そのまま引っ越せばいいんじゃない?」と言われました。
ものは考えようですね。
最後に、おわびとお願いです。
できるだけ、目を通して下さった皆さまのブログを訪問するようにしておりますが、遅れることがあります。また、その場合、読んでいなかった記事をまとめて読み、niceを読んだ分だけ複数つけることがございますことをご了承ください。
それでは!!
2015-10-14 05:00
nice!(85)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0